ポリグロット、つまり多言語に通じる者として、私は自分の話せる言語を使うのが好きです。自分の出来具合を見るをが好きです。しかしパフォーマンスの要素というのがありますね。あなたは私より上手?私はあなたより上手?気になりますか?
一部の人たちは言語学習の要素を楽しみます。私たちの多くは誰かが自分より上手く話すのを聞くと、実際とてもハッピーな気持ちになるんです。称賛の気持ちでいっぱいになります。例えひとつの言葉しか話さない人でも、とても上手に話す人には畏敬の念を抱きます。しかしもちろん、皆が皆そのような反応をするとは限りません。中には自分の言語レベルを見せることに臆病になる人もいます。
ポリグロットの真の定義とは?寡黙なポリグロットになれますか?
ロシアの小説「 アンナ・カレニーナ 」は次のような文章で始まります:
“Все счастливые семьи похожи друг на друга, каждая несчастливая семья несчастлива по-своему”.
大まかな訳:「幸せな家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭にはそれぞれの不幸な形がある。」私はそれを逆にして、不満のある言語学習者はみな同じように不満なのだと言っています。これができない、あれができない。一方で幸せな言語学習者はみなそれぞれの形で幸せです。つまり、私たちは言語学習において自分自身のやり方を見つけます。
1965年にウィーンのとあるカフェにいたときのことです。人々がある人に13ヵ国の言語で質問を紙に書き、彼はまた紙に書いて回答していました。書面で行われていたのは彼が聴覚と発声が不自由な人だったためです。人々が書面で尋ねる質問に彼が回答できないものはありませんでしたが、彼は話すことができませんでした。おそらく、当時は手話が今ほど広まってなかったのしれません。ある意味、寡黙なポリグロットと言えました。
人々は異なる方法で言語に関わり合う
読解力も理解力もありながら話さない人もいます。社交的で気さくな会話には長けていても言語についての知識は非常に限られている人もいます。
私にとっては楽しめるなら何でもいいです。どちらでも構いません。私の場合、あまり上手に話せない言語の場合は後者ですね。いくつか単語を言って、後はその言語を話す人に任せます。なので私の意見ではどちらも同じくらい良いのです。
ポリグロットの定義で興味深いのは、それが「複数の言語を知っており、使用できる」人のことで、話す必要があるとは限らないことです。
私はこれを 自分のYouTubeのチャンネル で言ったことがあります。すると誰かが「うーん、ポリグロットの定義はギリシャ語で多くの舌という意味だから、話すことができる必要はあるという意味になりませんか?」と言いました。単語の語源の観点からすればおそらくそうでしょうが、辞書の定義の観点からは「知っており、使用できる」とだけあります。
リーディングやリスニングで言語とつながっているなら、あなたはその言語を使っています。その言語に通じています。そして実際にコミュニケーションさえしているのです。リスニングはコミュニケーションの一形態であり、リーディングはコミュニケーションの一形態ですね。あなたは文化や歴史などとコミュニケーションを取っているんです。
使わなければ失われる…リフレッシュしない限りはね
私の場合、何か言語を始めるとそれを知りたくなります。以下はLingQからの私の統計です。LingQで既知の単語を数える方法は、単語のすべての形式も数えるということです。なのでスラブの言語だとすぐに膨大な単語数を増やすことができます。スラブ語には多くの活用形があるのです。
ご覧の通り、LingQにおける私の統計によると、ルーマニア語においては私は20,000語を知っています。ルーマニア語には熱心に取り組んだんですよ。というのも、私は木材のビジネスをしていて、ルーマニアで木材を購入してそれを米国の東海岸に売っているんです。ルーマニアにある私たちの供給向上を訪ねる予定があったので、2ヶ月かけて語学を勉強しました。最初の1ヶ月はリスニングとリーディングのみに費やし、2か月目にはオンラインで会話をする練習をしました。
私はルーマニアで素晴らしい時間を過ごしました。ルーマニアを旅してレンタカーを借りると、一日あたりプラス5ユーロで運転手を雇えます。馬車を運転している自分を思い描いて、1日5ユーロを払うことに決めました。得だと思います。私の運転手は大学生で、ルーマニア語で話しました。彼は私の運転手、ガイド、且つルーマニア語の先生でした。
製材所があった町の町長は、会うたびに私をつかみ、両方の頬にキスをしました。私がルーマニア語を話していたからでしょう。このような国で現地の言語を話すと、非常に好評であることを示します。
その1年後、私はエドモントンにいてレンタカーを借りに行きました。そこにはルーマニア人の女の子がいたのですが、私は一言も発することができませんでした。ゼロです。一定のレベルに達しないと、失うのはかなり速いんですね。一言も発せなかったのはとても残念でしたが、一度は覚えた言葉ですから、例えば週末にでもリスニングとリーディングをやり直せば、多くの単語は取り戻すことができます。
なので、多くの言語を話すからといって、要求に応じて何かを言ったりすぐに会話を始められるはずだという考えは間違っていると思います。あなたは必ずしもそれを引き出すことができるとは限らないというのが私の意見です。これは言語がわからないという意味ではなく、言語をリフレッシュするには最低限の期間が必要になるという意味です。どれくらいまで学んだか、最後に使ってからどのくらい時間が経過しているかによって、勘を取り戻すのに必要な期間は1時間、1日、1週間、2週間と異なってくるでしょう。
偉大なポリグロットの一人でも言語をリフレッシュする必要があった
ロンブ・カトーは非常に有名なポリグロットでした。彼女は完全に独学で、「何か国語話すか?」という質問に対してこう答えていました:
「母国語は1つだけ。ハンガリー語です。ロシア語、ドイツ語、英語、フランス語は流暢に翻訳、通訳ができます。スペイン語、イタリア語、日本語、中国語、ポーランド語には少し事前準備が必要です。このようなとき、日記の一部がこれらの言語で書かれている必要があります。」
繰り返しますが、時々は言語をリフレッシュする必要があるというこの意見です。複数の異なる言語を話すと言うポリグロットの誰もが、おそらくは自由自在に操れる言語を5つほど、そして実行する(話す)前に少しリフレッシュする必要がある言語をあと5つほど持っていると思います。
ロンブは完全に独学でした。しかも、もちろんmp3ファイルもインターネットもない時代だったので、彼女はひたすら本を読みました。教科書のでっち上げられた対話に飽き飽きしていた彼女のお気に入りの学習法は、全く知らない言語でオリジナルの小説を手に入れ、辞書を使って作業することでした。
ロンブは、珍しい表現や複雑な表現に足を止めず、それらはスキップしたと言います。重要なことは遅かれ早かれ再び現れるだろうと信じていたのです。これは私も完全に同意見です。人は、最初に最も一般的な1000語を習得する必要があると言います。確かなことがひとつあるとすれば、この1000語は、最も一般的であるなら必ずまた現れるのです。
ロンブ・カトーに関してとても興味深いと思ったのは、彼女には基本的に言語学習の方程式があったことです。素晴らしいことだなと思います。言語学習はとにかくやる気と時間。やる気と時間が抑止を上回ることは皆さんよく知っていることだと思います。
なので、できる限りやる気に満ちた状態でいること、できる限り多くの時間を費やすこと、そして抵抗つまり抑止を減らすこと。これは言語学習のプロセスを非常に良く説明していると思います。
言語学習と逆さまのホッケー用スティック
今日の世界で興味深いコンテンツにアクセスできる機会があることをロンブが目にしたら、間違いなく彼女は驚喜したことでしょう。これは信じられないことなのです。しかも多くの人はそれに気づいていません。始めてすぐは退屈なコンテンツを通過する必要があります。いきなり面白いものから始めることはできないからです。私は逆さまのホッケー用スティックについて話したことがあります。
あなたは一生懸命学習に取り組み、新しい単語をいくつも覚え、実に上達を感じている、非常に急成長を遂げている期間にいます。何一つわからなかった言語が、今ではどうだという感じです。実際に理解することができるし、何かを言うことができる。達成感があります。そして言語を発見しているので退屈な内容のコンテンツにも対処できるようになります。新しい言語を発見するのはワクワクしますからね。
その後、おそらく2~3ヶ月とか4ヶ月でしょうか。あるポイントに達すると急に全く上達が止まってしまったように感じます。単語が多すぎると感じます。そろそろ何でも理解できる頃ではと思うのに、単語が多すぎてまだ理解できません。1000語知っていれば、それはコンテンツの70%くらいだよと人は言うかもしれません。そうかもしれない。でも本を読んでいると、難度も現れて邪魔をするのがこれらの単語であり、他の単語は本全体で1回か2回または3回くらいしか現れません。長い道のりですね。
私の中では、 逆さまのホッケー用スティック を想像していただけるなら、急な上り坂があって「どんなもんだい」と言っている後に、この長くゆっくりとした緩やかな期間があると思っています。ただ、長い旅の途中でそのポイントに到達すると、幸いにも非常に多くのリソースを利用できるようになります。最初の部分、スタートし始めた期間では、Benny’s Teach Yourself のシリーズを購入して最初の山を越えるのがいいかもしれません。その後、ラジオ番組や映画、本などを理解できるようになると、それこそ数多くのリソースを利用できるようになります。
ポリグロット志望の人へおすすめの素晴らしいリソース
Audible.com は言語学習者にとって素晴らしいリソースです。全ての言語に対応しているわけではありませんが、それでもリソースは優秀です。私はSkypeでドイツ語におけるディスカッションをしなければならないことがありました。長い間ドイツ語は話はやっていませんでしたので、リフレッシュさせたいと思いました。ドイツの歴史には興味があるので、Googleで検索すると数多くのオーディオブックが検索に挙がってきました。そのひとつをiPhoneにダウンロードし、今も好きなときに聴いてドイツの歴史を学んでいます。すごく興味深いですよ。
最近ではもちろん、eBookを購入したらCalibreに置いてPDFやその他のフォーマットで保管できるようにしています。無料または寄付をすることでCalibreに入れておくことができます。そして希望するファイル形式に変換できます。私にインポートできるフォーマットに変換するので、LingQのオーディオブックとして必要な単語やフレーズを全て検索できるようになりました。
インプットを見つけるときの大きな疑問のひとつは、いつアウトプットに焦点を当てるかです。一部の人にとっては、学んだことを実際に使用することがモチベーションを高め、より多くの時間を費やす後押しとなり、阻害を減らすことにもなります。また他の人にとっては、あまり理解できない、言いたい単語をあまり知らないという事実が阻害を増加させるだけではなくモチベーションも下げることがあります。
なので各自がこの方程式を見て考えるべきだと思います。早めに話し出すことでやる気がアップするのか?早めに話し出すとやる気が低下するのか?私の抑止が増えるのか、減るのか?
その上でどのくらい話したいかを決めるといいと思います。結局のところ、その決定は「話したくない。聴いて読むだけがいい。だって、(例えば)バンクーバーに住んでいて人と話す機会がないから。でもその言語の文学には非常に興味があるので、それが私のやりたい方法だ。」となることが多くあります。それがあなたのアプローチであるなら、あなたはそれでもポリグロットとしての資格があります。比較的寡黙ななポリグロットというだけです。しかし豊かなインプットが豊かなアウトプットを生み出すと私は信じています。
ポーランド語とイタリア語の素晴らしいリソース
Publio.pl ー ポーランド語を学んでいる人がいるなら優れたサイトです。ポーランドの郵便番号は必要ありません。
Rai ー このサイトには、歴史に関する実に素晴らしいポッドキャストのAlle Otto Della Seraシリーズがあるのですが、残念なことにトランスクリプトはありません。必ずトランスクリプトが手に入るとは限らないのです。私の場合、例えば韓国語とルーマニア語において利用できるトランスクリプトがなかったため、実際にトランスクリプトを作成してくれる人をインターネット上で見つける必要がありました。
理解できないことは聞く気が失せるし、理解するチャンスが欲しいので、単語やフレーズを保存できるようトランスクリプトがあるのを私は好んでいます。イタリア語はトランスクリプトが不要なレベルですが、言語をリフレッシュするのには素晴らしいリソースです。
これらは2つの例にすぎず、世の中には非常に多くの豊富なコンテンツが満載です。豊かなインプットは豊かなアウトプットにつながります。これは外国語だけでなく、もちろん母国語でも言えることですね。
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10 Core Practices for Better Writing の中で、メリッサ・ドノヴァンは興味深いものを読むことから文法や語彙を学ぶことを強調しています。英語のネイティブスピーカーが達筆になるのを手引きする本で、彼女は上手に書くためには上手に読むことだと説明しています。(私はここにmp3でのリスニングも追加します)。自分の言語であっても、音は読むことと調和するのです。豊かな素材を聞くことで、あなたの言語はより豊かになり語彙も成長します。
ポリグロットの定義は複数あります。口数の少ないポリグロットにもなれますし、読まないおしゃべりなポリグロットになることもできます。自分がなりたいと思うポリグロットになればいいのです。大切なことは、言語に従事し、プロセスを楽しみ、新しい言語を発見していくことだと私は思います。
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